ハギノトップレディについて

作成:2001.10.08  更新:2023.10.15

ある時、私は部屋でラジオを聴いていました。たまたま耳に入ったのは競馬中継。「ハギノトップレディ」と連呼する実況に引き込まれてTVをつけると、黒い馬体に白い鼻筋のきれいな馬が先頭を走っていました。速くて美しいこの馬にひとめぼれしてしまったのでした。(昭和55年桜花賞)

競馬というものを知らなかったので、馬って毎週走ってるのかと思って競馬中継でハギノトップレディが走るのを楽しみにしてたのですが、なかなか出てこない・・・。おまけにやっと走ったーと思ったらオークスで17着だったんですよね。「走るのが速いのだったら、何回走っても1着のはず」と思ってたのでちょっとガクリ。でも秋には復活してエリザベス女王杯に勝ったし、レースを見るのが楽しみでした。それとともに競馬自体も好きになってきました。

翌年の宝塚記念は4着でしたが、もう「1着になるはず」とは思っていなかったし、カツアールが優勝、カツラノハイセイコが2着、メジロファントムが3着という結果でしたが、この馬たちも好きだったので、「ま、仕方ないな」という感じでした。次走の高松宮杯は強い勝ち方でスカーッとしましたね。巴賞では1年後輩の桜花賞馬ブロケードとの一騎打ち。抜きつ抜かれつの手に汗握るデッドヒートでした。

この頃、ハギノトップレディには確か、アーリントンミリオン挑戦の話があったと思うのですけど、毎日王冠で負けたことで、この話は無くなってしまったようです。秋には第1回ジャパンカップが行われたのですが、それも待たずに引退してしまったのが、当時すごく残念でした。(もう1頭好きだったカツラノハイセイコもジャパンカップには出走せずに引退したのでダブルショック・・・)
ちなみに、このジャパンカップの優勝馬はアメリカのメアジードーツ、日本馬は5着のゴールドスペンサーが最先着で、6着ホウヨウボーイ、7着モンテプリンス、8着ジュウジアロー(さっきの毎日王冠の勝ち馬)、9着サクラシンゲキ、10着タクラマカン、11着メジロファントム、12着ラフォンテースと続いていました。

繁殖生活に入ったハギノトップレディは、初年度、グランディをつけるために渡英、産まれた牝馬がレースに出走するのを楽しみにしていたのに、放牧中の骨折でダメになってしまい悲しかったです。レースには出走できなくても生きて繁殖生活を送って欲しかったな・・・。ドリームボーイがちょっと走った後、ダイイチルビーが活躍。でも桜花賞が除外になったのは悔しかった~。距離的にはオークスよりもこちらと思っていたのに。結局この後なかなか勝てなかったのもあって、そんなに大きな期待はしてなかったので、安田記念を勝った時は正直びっくりでした。京王杯SCを勝っていたとはいえ、G1レースですからね~。その後2着が3連続。高松宮杯は是非勝って欲しかったんだけど。イットー、ハギノトップレディ、ハギノカムイオーが勝ってるゆかりのレースだったからね。ダイタクヘリオスが優勝馬だったんだけど、マイルCSもやっぱりヘリオスの2着。でも暮れのスプリンターズSは完勝でした。これで燃え尽きちゃったのかな。翌年は勝てないまま引退。その後、オープン級の活躍馬が出ていないのが寂しいですが、ダイイチルビーやその娘のダイイチシガーも繁殖生活に入っているし、ハギノトップレディの最後の産駒(ダイヤモンドクイン)もいるし、今後の一族を応援していきたいと思っています。

2003年11月22日、ハギノトップレディは広島の地で永眠しました。眠るように逝ったとのことです。ペルフェットやマイネルセレクトの活躍で安心したのでしょうか・・・。
どうぞ安らかに・・・そしてありがとう。

ハギノトップレディの血統、全成績、産駒一覧
ハギノトップレディ供養塔

「桜の女王華麗なる蹄跡を残しハギノトップレディここに眠る」

立派な供養塔が建てられています。

(※「馬券ブレイク」(2008年5月号)にこの供養塔が出てくる漫画が掲載されています。)